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Nikkei Brasileiros! vol.25

エドゥアルド “DuDu” ツダ(ミュージシャン/作曲家)

日伯交流100周年企画
後援=在日ブラジル大使館
協 力=AMERICAN AIRLINE

Photoraphs & Text by Mizuaki Wakahara(D-CORD)
Directed by Ryusuke Shimodate
Edit by Tomoko Komori

Camera Assistant by Yayoi Yamashita
Coordinated by Tamiko Hosokawa (BUMBA) / Erico Marmiroli


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2008 年、地球の裏側ブラジルへの移民がはじまって100年の月日が流れた。今では150万人を超える日系人が暮らしている。 南半球最大都市サンパウロへ「japon」に会いに旅にでた、日系ブラジル人ポートレイト集。

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2008年10月16日

「裸のつき合い」という言葉がある。それほど本音を語ってくれることが、本音を知りたくて取材しているボクらジャーナリストの、最初の関門だ。それ以降が、取材のゴールデンタイム。インタビューはやがてただの会話になる。

DuDuはキーボーディスト。フェルナンダ・タカイ率いるPato Fu(http://www.patofu.com.br) のバックアップ・ミュージシャンとして来日し、そのライブ公演の打ち上げで出会う。Nikkei Brasileiros! プロジェクトのためにブラジルへ渡る数週間前のことである。野宮真貴さんをゲストに迎え、お祭り騒ぎのようなステージで、ひとり蚊帳の外のように淡々とNORD(http://www.nordkeyboards.jp/products/nord_lead_2x)の美しい音色を奏でる彼のプレーぶりは一際ボクの目を引いた。その落ち武者のようなルックスにも好奇心が刺激され、打ち上げも佳境に入るころ、ボクはDuDuの隣に腰を下ろした。音楽の話で盛り上がり、すぐに仲良くなる。それをきっかけに、彼の鎌倉行脚や箱根巡りのお供をすることになる。


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DuDuは日系3世。父方の祖父母は鹿児島。母方の祖父母は北海道の出身。鹿児島の祖母は9歳のときにブラジルへ移住。典型的な初期日系移民としてブラジルのスイスと呼ばれるほど美しい小さな街、カンポス・ド・ジョルダンで暮らす。この街にも歴史的に日系人が多く、毎年8月には桜祭りが行われ、珍しく日本の桜を見ることが出来る。そんな「おバーちゃん」(DuDuは日本語の単語を驚く程たくさん知っている)の口癖は「地面をずっと掘って行けば、おバーちゃんの国、ジャポンに着くのよ!」とか「泥棒すると、侍の罰があるよ!」など、ファンタジックなものが多く、DuDuはその言葉を日本語で覚えている。

おトーさん、ヨシヒサさんは医者、おカーさん、レイコさんは歯医者でDuDuは3人兄弟。3世だが、純日本人の血統である。確かに彼なら、いつ時代劇に出演してもおかしくはない。祖父母と遊んだ記憶のある3世世代は日本の童謡などは、ボクら日本育ちの日本人に引けをとらないくらい知っている。突然「ネコ踏んじゃった〜♪」と歌いだす彼を見ていると、まさかブラジル人だとは思えない。

とても興味深かったのは、今回の来日が彼にとって待ち焦がれた初めての来日だったことだ。それは単なる旅行ではなく、慣れ親しんだ祖父母から聞かされた思い出の地であり、自身のルーツを胸に刻む旅であったことは言うまでもない。10日程の短い期間だが、できるだけたくさんのルーツジャポンの空気を吸い込もうとする彼の気持ちがひしひしと伝わってくる。


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鎌倉行脚に合流したのは大仏の前だった。DuDuは大仏様をえらく気に入った様子で、「やばいほどカッコイイ!」を連発していた。彼は道中、右手にビデオ、左手にはマイクロホンの二刀流。「ビデオカメラが拾う音だけでは物足りない」というミュージシャンのこだわりなのか、さすがは落ち武者である。彼は普段から頻繁に街のノイズをサンプリングしている。「ボクは視覚的な記憶よりも、聴覚的な記憶で認識することが常なんだ。」ミュージシャンとしての彼の姿勢から考えると、非常に納得のいく見解だと感じた。大洋レコード(http://taiyorecord.com)の伊藤さんをはじめ彼の友人たち数人と歩いていたが、そんなことすら忘れているかのように、街並みのバイブスに身を委ね、数分間立ち止まりひたすら耳を澄ませる彼を、ボクらは少し離れて見守っていた。その日は終電で渋谷まで戻り、ライブハウスで飲み直した。そして「明日は箱根で温泉でも行くか〜!」と。


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落ち武者は、箱根の街並みとの相性は抜群だった。そして古い民宿との相性はそれ以上だ。あまりに浴衣が似合うので、「そのまま着て帰れよ!」と冷やかした。宿から数百メートル山奥へ入ったところにある露天風呂で日本人の特権を落ち武者にも伝授した。DuDuの瞳は日本人への敬意で溢れていた。


th_2501_DSC3979.jpgのサムネール画像


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翌朝、日課であるヨガを畳のうえで満足そうに、そして肌が畳にふれる感触を愛おしそうにしたあとで、名残惜しそうに民宿をあとにする。お昼に寄った蕎麦屋のお母さんにも気に入られ、「そう! ブラジルから来たの! 地球の反対側から来たの!」と散々歓迎され、記念写真も撮る事になった(このお母さんは最初はボクがブラジル人でDuDuを含めた他のみんなが付き添いの日本人だと思っていたようだ。ボクに向かって「日本語上手なのね〜」と感心していた)。


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短い時間だったが、落ち武者のルーツへの旅にお供させてもらえて本当によかった。来月はブラジルで会おうと約束し、DuDuは帰国した。


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約1ヶ月後、サンパウロで会った彼はもう落ち武者ではなかった。地元の街へボクらを連れて歩いてくれた彼はブラジリアン・シティボーイに戻っていた。ボクがフッチボールの大ファンだと知って、名物バーにも連れて行ってくれた。360度フッチボールの名場面で飾られた店内で、フェイジョン風スープを飲みながら、再会を祝う乾杯をした。


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 ボクらのテーブルの上には最早ヴォイスレコーダーは存在しない。何かを聞き忘れ、覚えていなかったとしても、いつだって声を聞けるのだから。良いお酒を飲み、あとは固くハグをして別れるだけだ。彼はいつまでも最高の友人だし、また再会するときが訪れるだろう。



 Dudu Tsuda




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