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Nikkei Brasileiros! vol.8

エリカ・アワノ(漫画家)

 日伯交流100周年企画
後援=在日ブラジル大使館
協 力=AMERICAN AIRLINE

Photoraphs & Text by Mizuaki Wakahara(D-CORD)
Directed by Ryusuke Shimodate
Edit by Tomoko Komori

Camera Assistant by Yayoi Yamashita
Coordinated by Tamiko Hosokawa (BUMBA) / Erico Marmiroli


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2008 年、地球の裏側ブラジルへの移民がはじまって100年の月日が流れた。今では150万人を超える日系人が暮らしている。 南半球最大都市サンパウロへ「japon」に会いに旅にでた、日系ブラジル人ポートレイト集。

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2008年10月8日

 アルモニア学園、ブラジル空軍と立て続けに濃密な時間を過ごした僕らだが、今日はまだ終わらない。世界最大規模の日本人街〈リベルダーヂ〉に漫画家のエリカ・アワノさんが待っている。取材タイムテーブルの関係で既に2度の日程変更をした経緯があったうえに、今日も想定外の展開から大幅に遅れることになってしまったため、気を悪くされているんじゃないかと心配しながらタクシーで移動していた。そもそもブッキングの段階でコーディネーターのタミコさんは苦戦していて、「エリカさん、結構気難しいかも」。と洩らしていたことがある。エリカさんに関する情報は出版されている漫画以外は全くなかったので、貫禄ある超恐いおばさんがピリピリしながら待っているイメージが頭の中では完成されていた。


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 約束の時間からちょうど2時間遅れの17時に到着し、リベルダーヂの駅前広場に面するカフェで待つエリカさんのもとへ。勢いよく遅刻の謝罪をしたが、待ちくたびれた素振りは微塵も見せず、人見知り感たっぷりのハニカミ笑顔で迎えてくれた。僕らの描いていたエリカ像とはかけ離れた、なんとも形容しがたい(しいて言えば妖精のような)佇まいだった。安心した僕らは、一気に緊張感と不安から開放され、すぐに和やかな雰囲気でざっくばらんな話へと入っていくことができた。

 エリカ・アワノさんは日系3世、サンパウロで育ち、現在も同市を拠点に漫画家として活動しながら、イラストレーター的な仕事もしている。日本が漫画・アニメ大国として世界中に認知されていることは周知の事実だが、ここブラジルにおいても絶大な人気を誇る。ドラゴンボールを筆頭に、近年のブラジルの子供たちは日本のアニメを見ながら育ってきたと言っても過言ではない。エリカさんも例外ではなく、そんな一般的な子供たちと同じような境遇でアニメと出会う。


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 しかし、エリカさんを漫画家人生へと導いたものは、そういった身の回りにあふれる日本のアニメでもなければ、本人が漫画大国の人間の血を引いているという意識でもなかった。彼女のルーツ日本への想いはシンパシーではなく、むしろ異国情緒としてエリカさんの心に入り込んできた。そのきっかけがこの日本人街〈リベルダーヂ〉である。


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 僕が面白いと感じたのはこの点だった。日系人であっても3世ともなると、文化的には99%ブラジル化している。日本語が理解できる人の多い印象の日系2世に対して、日系3世以降は極端に少ないことが実感できる。ブラジル社会の中で育ったエリカさんにとって、物心ついたときに友達たちと何気なく訪れたリベルダーヂはとても好奇心をくすぐる世界観で溢れていた。以来、彼女のお気に入りの街として、また彼女を刺激する街として、たびたび徘徊することになる。そして特に好きだった場所が本屋であり、ポルトガル語に翻訳された日本の漫画だった。


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 日本人である祖母や、日系2世である両親からの影響ではなく、自分の感性でたどり着いた興味の対象がたまたま彼女のルーツに近いものだった。話を聞きながら、このタイミングで一瞬エリカさんと日本文化がつながったように解釈しそうだったが、実際はそうでもない。日本の漫画の多様性やクオリティーに対してのリスペクトや愛情は感じるが、彼女のルーツ文化に対するノスタルジーは感じていないと言う。彼女にとって日本文化は、自分のそれとは全く異なるからこそ惹かれてしまう魅力を持っているようだ。そしてリベルダーヂの街に魅了される理由も同じである。


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 ここサンパウロ市の中心部リベルダーヂ区に日本人街が形成され始めたのは第二次世界大戦前後。すでに半世紀以上の歴史がある。日系人が経営する企業やホテル、飲食店や土産物屋などが軒を連ね、鳥居や日本式庭園まであるため、視覚的にも随所に日本らしさを感じることができる。日系団体の本部や医療機関も密集していて、名実ともに世界最大規模の日本人街と呼ばれ続けてきた。


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 しかし、先ほども触れたように、世代が新しくなるにつれてブラジル社会への同化は進み続け、自ずと日本人の数は減り、現在では入れ替わるようにして転入してきた中国人や韓国人の移民が増えている。そのため〈東洋人街〉と名前も改められた。


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 このようなまさに過渡期であるリベルダーヂを歩くと、移行期特有のカオスがあり、それもまた楽しめる。想像してみてほしい。チャイナタウンとコリアンタウンとジャパンタウンがブラジルの大都市で混ざりあっている状況を。日本の土産物、招き猫やこけしや扇子などを中国人が売っている。さらに韓国人が寿司を握るのだ。そしてなんとも言えないバイタリティーが湧き出ている。お年寄りも多いが、決して、過去の街という印象はなく、闊歩する若者も多い。そんなカオスが好きなブラジル人が訪れ、さらに活気が増す。
 

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 エリカさんオススメの本屋に寄ったあと、『トーキョー』という名前のショッピングモールの中も歩いてみた。そして時折、お店のおばちゃんやお客のおじいちゃんなんかに話しかけ、この街のストーリーの断片を集めた。再び駅前に戻ると、日本にいる孫の写真を見せてくれながら泣き出すハーモニカ吹きのおっちゃんがいたり、手作りの〈舌磨き〉や〈耳かき〉を売ってるスケベなおじいちゃんがいたりと、リベルダーヂを彩る個性たちとだらだらとした時間を過ごした。分刻みの慌ただしかった一日が嘘のようで、竜宮城にいるように時が流れた。

 そう、この街は徘徊するためにある。


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 終始妖精のような存在だったエリカさんと駅で別れた。彼女が目の前から居なくなると、本当に一緒にいたんだかわからなくなった。すると目の前に、〈銀行のような城〉それとも〈城のような銀行〉が聳え立っている。


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 これも妖精の仕業だろうか?
 きっとそうだ。
今朝アルモニアで〈幸せなら手をたたこう〉を歌った小人たちも、昼過ぎに遭遇した戦闘機を操る将軍も、夕暮れの泣きじゃくるハーモニカ吹きも、みんなエリカが描いたファンタジーのキャラクターだったのだ。
ありがとうエリカ! こんな不思議な日は、あなたの魔法なしではありえない。




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