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Nikkei Brasileiros! vol.6

アルモニア学園

 日伯交流100周年企画
後援=在日ブラジル大使館
協 力=AMERICAN AIRLINE

Photoraphs & Text by Mizuaki Wakahara(D-CORD)
Directed by Ryusuke Shimodate
Edit by Tomoko Komori

Camera Assistant by Yayoi Yamashita
Coordinated by Tamiko Hosokawa (BUMBA) / Erico Marmiroli


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2008 年、地球の裏側ブラジルへの移民がはじまって100年の月日が流れた。今では150万人を超える日系人が暮らしている。 南半球最大都市サンパウロへ「japon」に会いに旅にでた、日系ブラジル人ポートレイト集。

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2008年10月8日

 今日は3本の取材がある。いずれも僕が熱望していた人物だ。タミコさんがなんとか調整してくださって、頑張りがいのあるハードな1日を迎えることができた。本当に頼りになるコーディネーターである。
 午前中にうかがうのは、アルモニア学園。日系2世が中心となって設立された幼稚園から中学生までの12年一貫教育をしている学校だ。


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 アルモニア学園 の母体は'53年に設立された。地方在住の日系人がサンパウロの大学へ通うための寮として、13名の学生のためにスタートする。日本が戦争に負けたことは、地球の裏側ブラジルにはなかなか正確には伝わらなかった。勝ったと信じ続ける者、負けを認められない者、曖昧な情報はそれぞれ受け手の解釈に委ねられ、日系人社会の間で「勝った」「負けた」と激しい対立を引き起こした。さらに時間がたち、ようやく事実を知った日系人たちの中で、日本へ帰国することをためらう者が増えていった。〈敗戦国、日本〉の姿を目の当たりにするより、過酷な生活だが、自らが希望を胸に選んだ地、ブラジルに賭けてみようと考える風潮が広がったからである。


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 アルモニアの設立者たちも、そんな日系社会の流れのなかで、「ブラジルに留まるならば、この地での未来を真剣に考えなくてはならない。自分たちだけでなく次世代の子供たちを含めて、もっとブラジル社会に適応していく必要がある」と夜な夜な話し合いを重ねていった。その結論は〈教育〉であり、ブラジルの大学へ日系人の生徒を送り込むことを第一に考えた。そして、都市から遠く離れた土地に暮らすことが多い日系人が、大学へ通えるような物理的なサポートとしてアルモニア寮がはじまった。


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 最終的に、毎年180名ほどの日系人学生が利用するようになったが、時代とともにサンパウロ市内へ移る日系人も増えていき、寮の必要性も次第に変化していく。寮生の減少が顕著になりはじめた'93年、アルモニア寮は『アルモニア学園』と改められ、20名の子供と共に幼稚園として再スタートを切った。現在では幼稚園から12年生(日本の中学3年生)まで350名が通っている。日系人の生徒は2割ほどで、残りの8割はブラジル人だ。


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 僕らが学園に着くと、歴代理事の写真が壁一面に並べられ、夕焼けに染まる富士山の絵画が飾られた応接室に通された。日本の湯飲みでお茶をいただきながら待っていると、教頭先生をはじめ5名の方がぞろぞろと向かい側に着席され、失礼ながら「マジっ!?」というくらい急速に堅苦しい雰囲気になった。しかしそこはせっかく貴重なお時間をいただいているのだから我慢しなければならない。丁寧に挨拶をしてから、学園の歴史や教育方針など、いろいろなお話を伺った。


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 生まれ変わったアルモニア学園のカリキュラムは、ブラジルの普通の学校とほとんど変わらないが、週3時間追加されている日本文化の授業がある。また、ブラジルの学校にはほとんどない、いわゆる部活動も日本式に行われていたり、寮時代の名残である給食なども、他にはあまりないものである。これらの特徴も生徒がアルモニアに通う理由ではあるが、一番大きな要因は、いまだにブラジル全土に根付く〈日系人ブランド〉の看板であるという。


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 〈まじめ〉〈規律を重んじる〉〈信用できる〉、そして〈礼儀正しい〉。日系人にいまだに付いてまわるこれらの形容詞は、現在でも健在だ。そんな話を聞いていると、僕の話を聞く姿勢もこころなしか背筋が伸びている。世界のどこかへ旅すると、ことあるごとに差別的な言葉を浴びせられたが、ブラジル人にはサッカー以外では馬鹿にされない。
 ブラジルに渡った日本人の先輩方が自然と広めた日本のイメージ。その答えが〈礼儀正しさ〉であるならば、それはどれだけ誇らしいことだろう。そしてどれだけ守り続ける価値があるだろう。


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 その後、日本文化の授業内容から日本語教育の話に移り、現在2名いる日本語の先生が応接室に呼ばれてやって来た。意外にも日本語の先生はふたりとも20代の若いブラジル人だった。学園上層部と僕ら取材陣を前に、若い先生はガッチガチに緊張していて、普段ならスラスラ話せるであろう日本語は、しどろもどろで気の毒だった。具体的な授業内容を聞いてみたが、答えは上層部に気を使ったためか、いかにアルモニア学園が良いところであるかの褒め殺しで「それって今聞いてないけど?」っていう空気が流れた。


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 そんな中、僕が「12年間の日本語授業の後にはみんな先生のように話せるようになるんですか?」と火に油を注ぐような質問をしたために、さらにてんぱってしまって、その動揺した姿そのものが質問の答えのようだった。その先生は高校生から日本語を習いはじめ、日本の大学へ1年間留学している。それでもセルジオ越後さんくらい話せるので、ずいぶん上手い(と、フォローしておこう)。ちなみに12年間で延べ700時間の日本語授業があり、12年生は日本語検定4級相当の実力であるらしい。


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 そんな日本語の先生のキャラ(Smapの"世界にひとつだけの花"が大好きらしい)もあって応接室の雰囲気も和んだところで、校内を見学させていただいた。ここからは真っ赤なスーツにばっちりメイクの校長先生にバトンタッチされ、じきじきに案内してくださった。


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 幼稚園クラスは最高だった。みんな揃って「こんにちは~!」と挨拶してくれた。感動。それから"幸せなら手をたたこう"の大合唱が突如はじまる。さらに感動! みんなの笑顔を撮影できた。しばらく微笑ましい歌を聴いていたが、歌は一向に終わらない。先生が指差す場所をたたきながら歌は延々と続いていく。10番は軽く歌ったであろう。僕が止めないと終わらないと気づき、感謝の気持ちをこめて「そろそろ大丈夫です!」って遮った。


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 すごい罪悪感だが、本当に時間が限られている。「オブリガード!」とお礼を言い、小学生のクラスへ移動した。そこでも「こんにちは!」の洗礼を受け、再度感動。移民100周年にちなんで制作した絵を見せてもらった。笠戸丸(1908年最初の移民を乗せてサントスまで運んだ伝説の船)や着物や雛人形などが描かれている。日本が彼らの目にはどんな風に映っているのかを知るヒントには充分だ。とても愛着があることも伝わってくる。はっきり言って癒された。素敵な子供たちだった。


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 その後、最上級生までざっと見学したが、黒板に巨大な日本地図が張ってあったり、廊下に日本語で書いた張り紙があったりと、日本の文化は生徒の生活の一部にしっかりと根差しているように感じられた。和太鼓や柔道や剣道の部活も人気があり、その設備も充実している。交換留学制度を始める準備も進められ、高等部にあたる学年の開設プランも進行している。アルモニア学園はしっかりとした歩みを続け、日系人によって築きあげられた歴史を新たな100年に向けて語り継ぐことだろう。


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 帰りのタクシーで思ったことは、自分自身がどれだけ〈礼儀正しさ〉を守っているかだ。果たして僕らの世代が今移民したら、その新しい土地で〈礼儀正しい者〉として認められることができるだろうか? それとも変わり果てた日本人の姿を露呈してしまうのだろうか? 一人や二人ではなく、何万人、何十万人規模の礼儀正しい先人がいたからこそ異国で認知されたイメージが誇らしい。100年後の移民200年の節目に、ブラジル人に日系人のイメージを聞いた答えが、変わらず〈礼儀正しさ〉であって欲しいと切に願う。


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 この場を借りて、勇気を持ってブラジル社会への扉を開いた先駆者たちに敬意を表したい。現在でも本当に多くの誇り高き日系人がブラジル社会を支えている。その中にはアルモニア寮出身者も少なくはない。また、今回快く取材に応じてくださったアルモニア学園関係者をはじめ、先生方、歌をうたってくれた生徒たちにもあらためて感謝の気持ちを伝えたい。

 「ARIGATOU GOZAIMASITA!」
 
  Muito Obrigado, ate mais!



■過去連載記事:
vol.1  ジュン・マツイ(タトゥーアーティスト/俳優)

vol.2 チアキ・イシイ(柔道家)

vol.3 シズオ・マツオカ(バイオエタノール研究者)

vol.4 トシヒコ・エガシラ(ざっくりと実業家




















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