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Nikkei Brasileiros! vol.19

ジュリアナ・イマイ(モデル)

日伯交流100周年企画
後援=在日ブラジル大使館
協 力=AMERICAN AIRLINE

Photoraphs & Text by Mizuaki Wakahara(D-CORD)
Directed by Ryusuke Shimodate
Edit by Tomoko Komori

Camera Assistant by Yayoi Yamashita
Coordinated by Tamiko Hosokawa (BUMBA) / Erico Marmiroli


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2008 年、地球の裏側ブラジルへの移民がはじまって100年の月日が流れた。今では150万人を超える日系人が暮らしている。 南半球最大都市サンパウロへ「japon」に会いに旅にでた、日系ブラジル人ポートレイト集。

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2008年10月13日

 雑誌『DUNE』のブラジル特集で見たジュリアナは、南米の香りとオリエンタルな雰囲気とが絶妙に絡み合って、特別な存在感を放っていた。以来、様々なブランドのキャンペーンで彼女の姿を注目していた。今回のキャスティング時にも真っ先に頭に浮かんだのが彼女だったが、調べるとここ数年、彼女はNYに住んでいるようで、ブラジルにはサンパウロ・ファッション・ウィークの時期にしか帰っていない。可能性は薄いが、駄目もとで撮影オファーを出しておいた。
 
 5日ほど前に、幸運な知らせが届いた。ジュリアナがブラジルでの仕事のために、数日間サンパウロへ滞在するとの連絡だった。「是非仕事中の彼女の姿を撮影したい」とリクエストを伝え、ブラジルのファッション誌のカバー撮影の現場に立ち会わせていただけることになった。相変わらず運が良い僕。


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 気持ちよく晴れ渡った昼下がりに、某有名フォトグラファーのスタジオへお邪魔した。ジュリアナをはじめ、撮影スタッフもすでにスタジオ入りしていて、みんなせっせと準備を進めている。ジュリアナのマネージャーに、天窓からたっぷりと光が注ぐ中庭で待機するように言われ、「邪魔にならなければスタジオ内のどこを歩いても良い」と思わぬフリーパスも得ることができた。
 
 ならば、とアシスタントがセッティング中のメイン・スタジオや、衣装やアクセサリーが広げられたドレッシングルームなどをキョロキョロしながら見てまわったが、うちらの取材の話はほとんど通っていないようで、会う人会う人「誰この人?」みたいな感じの訝しげな視線を感じることとなった。「この人たちジュリアナの取材だよ!」なんて軽い感じでマネージャーがその都度いいかげんな紹介をしてくれる。ついでにメイク中のジュリアナにも挨拶をした。「ハロー!!! アッファッファッ!!!」とウッドベース並みに低い声で笑って迎えてくれたが、「なんで???(その声の低さ)」って思って、やや引き気味の表情をしてしまった。その声のせいか、身体は細いのにたくましい印象が強く、とても23歳には見えない人間力を感じた。モデルはかなり若くして仕事をはじめるために、早熟で実年齢以上に人生経験が豊富な人が多い。


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 母方の祖父母が日本からの移民であるジュリアナは日系3世だ。満州生まれの祖父はブラジルのコーヒー農園で働き、過酷な労働を強いられ、後にその環境から逃れるように時計屋に職を変えている。ジュリアナ曰く「おじいちゃんは美男子だったからすごくプレイボーイだった。ブラジルに来てブラジル娘が好きで好きで、おばあちゃんを捨てちゃったの。そして私が5歳の時に家を出てしまったわ。So Bad!」。ソーバットには違いないが、ブラジル娘にモテる日本人はかっこいいなSo Cool! さらに「おじいちゃんが病気を煩ったことが手に負えなくなった後妻のブラジル娘が、ある日おじいちゃんを車椅子に乗せて我が家へ返しに来たのよ」。これだけでも、どれだけ破天荒なおじいちゃんだったか想像することは難しくはない。「だからおじいちゃんとの思い出と言えば『桃太郎』を聞かせてくれたことくらいだし、ほかに日本のことも何も学ばなかったわ」とジュリアナは言うけれど、そんな人生歩んだおじいちゃんなら、きっと彼女の人生に大きな影響を与えたに違いない。


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 「私以外の同級生が全員白人だったから、学校でのあだ名は『ジャポネーザ!』だったわ。だから必要以上に自分はみんなと違う、ルーツが違うって意識しながら育ったの」。14歳でモデルとしてスカウトされたジュリアナは、お母さんの意向で高校を卒業するまでは本格的なモデル活動を控えていたが、卒業を機に事務所から海外で経験を積むように指導され、初めて海外に渡る。渡った先は日本だった。「事務所から日本で仕事をするように言われて、とても嬉しかった。やっぱり子供の頃からずっと気になっていた場所だったから。着いたときは感動したし、何よりも親近感があったわ。やっぱり日本人の血が流れてるって!」。ブラジルへ帰国後、様々なオーディションをかたっぱしから受け、本格的にモデルとしてのキャリアを開始する。そんな中、念願のサンパウロ・ファッション・ウィークへの出演が決まる。モデルとしての成功への登竜門的なステージに立つのだ。最高の準備をして臨んだ仕事だったが、途中で自分が身篭もっていることに気づく。妊娠2ヶ月半だった。当時18歳だったジュリアナは、過剰に神経質になり、始めは母親にさえ内緒にしていた。やがて現実を受け入れ、親にも事務所の人にも妊娠を打ち明けると、みんなが喜んで応援してくれたそうだ。産むことを決意し、仕事も続けていくことにした。「子供がいたからこそ、私は人間として、そしてモデルとして成長することができたわ。だから仕事も続けることができたし、息子を養うこともできたの」。
 子供が5ヶ月のときに、NYのエージェントから声が掛かる。「子供と離れるのは辛かったけど、一生に一度のチャンスだと思って、NYへ行くことを決めたわ!」。ブラジルの親元に子供を預け、単身NYへ。ドルチェ&ガッバーナ、グッチ、ヴィクトリア・シークレットなどのショーに出演した。「人生がガラリと変わった瞬間だったわ」。


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 以来、世界4大ファッションショーのランウェイに立ち、モデルとして欲しかったものはすべて手にしている。妊娠からキャットウォークまでの壮絶なジェットコースターのような日々は、強靭な心の持ち主でなければ乗り越えられなかっただろう。それこそ、大志を抱いてブラジルへ渡ってきた祖父を想いながら、ジュリアナもNYへと渡ったはずだ。あの破天荒なおじいちゃんの血筋をちゃんと引いてるのだ。自信に満ちた世界を股にかけるトップモデルを目の前にして、感動していたのもつかの間、話は日本に関する世間話へ突入。
 やれコアラのマーチがたまらなく好きだ! とか、遊ぶなら麻布十番かギロッポンだとか、バービーを50個集めたとか......。109に行きたい!! 日本の女の子は小柄でカワイイ!! 特に制服はヴェリー・キュート! ヴェリーキュート!! 前回のハロウィンはジャパーニーズ・スクール・ガールでキメキメ!! みたいな、どうでもよい話で終わった。


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 私って夢見がちな性格なのー! って終盤急にチャラくなったジュリアナ。赤裸々なお話をありがとう!





■過去連載記事:
vol.1 ジュン・マツイ(タトゥーアーティスト/俳優)
vol.2 チアキ・イシイ(柔道家)
vol.3 シズオ・マツオカ(バイオエタノール研究者)
vol.4 トシヒコ・エガシラ(ざっくりと実業家
vol.12 KIMI NI(陶芸家)
vol.13 トミエ オオタケ(芸術家)
vol.14 ヒデノリ サカオ (ミュージシャン)
vol.15 ヒデコ スズキ(デコギャラリー/ギャラリスト)
vol.16 ナミ・ワカバヤシ(ジュエリー・デザイナー)
vol.17 シンチア・タカハシ(女子ソフトボールブラジル代表選手 & エンジェル)
vol.18 ティティ・フリーク (グラフィティ&ヨーヨー・アーティスト)





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