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釜ヶ崎連続WEB小説「喫茶カローラ」

第五回「もういない」

文・安藤久雄
写真・若原瑞昌


盗みを働いた女装男を、その場に偶然居合わせた刑事が取り押さえた。 連行中、刑事は突然手錠を外し、振り向きもせず歩き始める。 逃げることもできたのに刑事の後を追った二人が行き着いたのは奇妙な喫茶店。

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 角を曲がった途端、男は足早になった。
 男に肩を押されて歩く私の足は遅れ気味で、社交ダンスのようなステップを何度も踏まなあかんかった。
 古いポスターの貼られた人気のない映画館の入り口は通りから奥まっていて、男はそこへ入って足を止めると、そそくさと私にしていた手錠を外し、それを隠すために羽織らせていたコートを取って、家を出る時のように悠然と着ながら、「ほな行こか」と通りを見ながら声を出した。
 私は付いて行かんことも、走って逃げることもできたのに、背中を向けて歩きはじめる男の背中がしごく無防備やったから、私はついつい安心して、ついつい後を追ってしまった。
 男の足はやっぱり速くて、私はまた何度もあのステップを踏んだ。途中私はかつらをしてへんことに気付いて立ち止まり、脇にあった理髪店の窓ガラスに自分を映してセットして、再び歩きはじめると男はもう人波に消えていた。それでも何とか追いついて、細い横丁を、路面電車の踏切を、ホームレスたちの間を、私は一直線にしか進めない不器用な踊り子のように、ぴょんぴょん付いて行った。
 
 西成の職安を過ぎて左に曲がると、男は煙草を吸って待っていた。私はやっと漕ぎ着けたフィナーレに安堵する心持ちで最後のステップを踏み、息を切らして男の前でうなだれた。
 かつらやから定かやないけど、頭をやさしく撫でられた気がして顔を上げると、男は腕を引っ込めるのと同時に、顔をぐーんと近づけてきた。
 「あんた、ほんまに女やねんな」。
 男のヤニ臭い声で鼻の辺りがこそばゆかったけど、動いたら、男の夜より黒い目に呑み込まれそうで恐ろしかった。
 そんな私を尻目に男は体を起こし、「ここでええかぁ?」と横を向いた。見るとそこは喫茶店で、私が返事をするより先に、男はもう扉を開けていた。
 店内は、巨大なさいころがすっぽりと入りそうなほどシンプルで、客はひとりもなく、男は中央のテーブルの席にコートを掛け、その隣にゆっくりと座った。私はようやく普通の歩調で席まで進み、男の向かいの席に浅く腰をかけた。
 間もなくママがやって来て、優しげに微笑み、「いつものんでええですか?」と男に聞いた。男も微笑んで「うん」と返し、それから私の方を見て、「おんなじのんでええか?」と聞いてきたので、私は慌てて頷いた。
 待ってる間、男は煙草を吸いながら、壁に掛かった二枚組の絵を、風景のように眺めていた。
 私は何だか落ち着かず、男の様子ばかり伺っていた。
「お待たせしました」と、テーブルに置かれたグラスからは湯気が立っていた。離れていても、鼻につーんとアルコールの薫りが届いた。
 男は煙草を揉み消した手でグラスを取り、口に運んでちびりとやって、ふと私の視線が気になったのか、「昼間のいつものんは、ちゃんとコーヒーやで」と、少し言い訳するように言った。私は少しほっとして、冷えた手をグラスで温めた。
 お互いちびりちびりとやってるうちに、私は少し酔っぱらってきて、男以外のことも目に入るようになってきた。
 二枚組の絵には、一枚に一人ずつ、長い黒髪の女が描かれていた。二人とも髪と同じ色のドレスを着ていて、その前には牡丹が咲き、尾の長い鳥たちが戯れていた。
 似ていると思った。特に、腕をついて前のめりの姿勢で、もう一人の女の顔を見つめている左の女の冷たい顔。今にも、もう一人の女を呑み込んでしまいそうな女の気迫。とても似ていると思った。
 「あんなぁ、ちょっとあんたに頼みたいことがあるんや」。
 おもむろに聞こえてきた男の声に、私は慌てて向き直った。
 「あんなぁ、誘拐してきてくれへんかなぁ、坊主」。
 言ってる意味がわからなかった。私は次の言葉を待った。
 「俺の息子、死に別れた連れの実家におる」。
 絵の女に似ているそのひとも死んだ、自らの意思で。
 「刑事さんの行きつけの店、ここだけですか?」。
 久しぶりに出した声は少し掠れていた。
 「いいや」。
 男は少し、不思議そうな顔をしていた。
 「ほな何でここやったんです?」。
 男は少し目を泳がせて、すぐにこっちを向いて言った。
 「あんたとやったらここや思うた」。
 胸に溜まったウイスキーが、すとんとお腹に落ちた気がした。
 「気に入らんかったか?」。
 私は首を横に振り、そのまま今度は縦に振った。
 「やります、誘拐」。
 男はきょとんと私を見つめて、それから少し微笑んだ。
 「ありがとう」。

 絵の女はほんまに似ていた、私の死に別れた双子の姉に。
 ゆっくりと顔を回し、再びその女に目を遣ると、さっき冷たく感じた顔が、少しだけ温かく感じられた。



■過去連載記事:
第一回「脱げない」
第二回「消えない」

第三回「覚束ない」
第四回「浪速クラブ」





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