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釜ヶ崎連続WEB小説「浪速クラブ」

第四回「冴えない」

文・安藤久雄
写真・若原瑞昌


男二人が芝居を観に行った。演目は「弁天小僧」。男が女になりすまし、悪い輩を成敗する物語だ。二人のうち一人は、弁天小僧と同じく、女を決め込んでいたが、女装をしていたのは弁天小僧とその男だけではなかった……。

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 「なぁ、手、離してくれへんかぁ」。
 「い、や、や」。
 源さんの親指は、がさがさ、ごつごつ、ふっといかりんとうみたいや。こんなんが昨夜、あたいのあそこに入っていたかと思うと、もう口がだらしなく開いて、吐く息の熱で鼻がどんどん湿ってゆく。もうたまらなくむずむずしてきて、源さんの、もう一方の手から煙草を抜き取って灰皿に放った。
 「なにすんねん」。
 「さ、休憩おしまい。戻ろう」。
 
 木戸を通り抜ける時、火鉢を持った小屋の従業員が道を譲りながら、あたいの顔をじいっと見とった。あの目は多分、あたいが女になる前の姿を知ってる目。あたいは毎日、日雇いの仕事を終えてからあの路地へゆく。その前にいつも、この小屋の隣の煙草屋で煙草を買う。その時のかっこはベージュの作業着。もちろんノーメイク。髪は、スプレーを振ってへんけどほぼ同じ。そやけどたいがいのひとは、あれとあたいが同じ人間やゆうことを知らへん。そないなこと、みんなどうでもええと思うとる。あの従業員の子は、きっと裏側ばかりに目をやっとる。なんであたいがこんなことしとるか、知りとうてうずうずしとる目やった。ふふ、かわいいぼうや、おちんちんしゃぶらせる気になったら、少しは教えたげるわ。
 
 席に戻ると、隣の席の扶夏ちゃんは涎を垂らして眠っとった。
 「ふうかって言います。扶養の扶に夏。将来お金に困らんへんように......」。
 さっきお母さんがそない言うとった。将来言うとるけど、夏だけ弄ばれる女になったらどないすんのん。そやけどさっき、ミニショーのラストで座長に花が付いた時の扶夏ちゃんのきらきらした目を見たら、名は体を表す、て言葉がしっくりきて、あぁ、この子やったら大丈夫かもしらんと思うた。て、他所の子のことなんてどうでもええ。あぁ、ほんまにむずむずする。こないに落ち着かへんのは久しぶり。あぁ、源さんのこの指、今すぐ欲しい......。
 「弁天小僧、知っとるか?」
 「え?」
 「今からする芝居や」。
 「ううん」。
 「そっか。おまえとおんなじようなやつやねんけど、知らんか」。
 「ん、なに。どういうこと?」
 「ふふ。まぁええから見とき」。
 「う、うん」。
 「で、手、離してくれへんかぁ」。
 「い、や、や」。
 ふぅ、と洩らした源さんのため息で場内は暗転し、拍子木がリズミカルに鳴り響く中、幕がゆっくりと開いていった。
 
 弁天小僧、あたいには劣るけど、なかなかの変身っぷりやったし、なかなかの美人やった。あたいは女になりすましてヒーローを気取るなんて面倒なこと、せえへんけど......。
 「泥棒ーっ!」
 明らかに芝居ではない声が、あたいらの長椅子のすぐ後ろの通路で響いた。見ると舞台の脇の楽屋の出入り口で、かつらを脱いだパジャマ姿の女優と黒ずくめの女が揉み合っていて、副座長演じる弁天小僧はその声を気にしながらも、今まさに舞台上で悪い輩に成敗を下そうとしている。
 「おのれー! 弁天小僧めーっ!」
 という科白の最後で拍子木が、ちょん、と鳴った。出入り口の二人はその音に弾かれたように勢い良く離れ、それと同時に黒ずくめの女が走り出した。先ず壁の切れ間に座ってた源さんが立って通路に足を出した。もろに躓いた女はスキージャンパーよろしく宙に舞い、ざざぁー、という音を立てて地面に転がった。あたいはすかさず女の手を踏んづけて、鞄を取り上げ中を拝んだ。「へぇ、弁天小僧て儲かるんやねぇ」と、煙草に火を点けてる源さんに笑いかけると、ふぅ、と煙を吐き、「おまえもやってみるかぁ?」と、にやにやしながら近づいてきた。源さんは、「さ、あとは俺に任しときぃ」と、少しうんざりした顔を見せ、面倒くさそうに自分の腰辺りをまさぐり、慣れた手つきで手錠を出した。ちょっと面食らって、「源さん......」と呟くと、「へへ、俺はただの小僧やな」と言いながら腰を屈め、あたいの踏んでる女の手に、カチャッ、と手錠を回した。それを潮に騒然としていた場内が少し落ち着き、思い出したように拍子木が鳴りはじめ、舞台の幕が閉まっていった。客が動き出す前にずらかろうとした源さんが、少し急いで女を起こすと、ぱさっ、と音を立て、女の長い髪が地面に落ちた。「えぇ、そっちも弁天小僧かいな」と野次を飛ばす客たちを尻目に、源さんは先ず女にかつらを持たせ、それから自分の着ているジャケットを頭から被せてやった。副座長の演じた弁天小僧より、悔しいけれどあたいより、誰よりその女は綺麗で、心の底から嫉妬した。源さんは煙草を放って爪先で揉み消すと、「近いし、歩いて署まで行くわ。ほな、またな」と、子供を諭すような笑顔で言って去ろうとした。あたいも子供のように、「うん。またね」て、見送ったけど、いやいやちょっと待ってと後を追って駆け出した。「源さん、今夜も会うてくれるんよねぇ?」と、あの親指に縋り付くと、「うーん、今夜は仕事で無理やわぁ」と言う。「源さん、その女があんまり美人やからって、乗り換えようとしてるんやろう」と喚くと、「ふふ、あいにく俺は、もとから女のやつの方が好きでなぁ」と軽くいなされた。
 
 小さくなった源さんがあたいを振り返り、あの手を挙げて軽く振ると、通天閣が、ごーん、ごーん、と、七時の鐘を鳴らしはじめた。
  



安藤久雄 Hisao Ando
多摩美術大学二部映像コース卒。数々の自主映画、写真、 イラス ト作品を手がける。『一人デモ』が2003年、山形国際ドキュメンタリー映画祭・日本パノラマに招待される。平成19年、 写真集『うさぎ小屋のひみつ』 を出版し、同年NGOMA"voodoo eyes are shut"のPVを監督。昨年から大阪の新世界に拠点を移し、フリーライターとして活動中。大阪は通天閣のお膝元、なにわっ子なら知る人ぞ知る大衆演劇小 屋「浪速クラブ」に突撃撮影に来た若原にナンパされ、今回の執筆に至る。



■過去連載記事:
第一回「脱げない」
第二回「消えない」

第三回「覚束ない」





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