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プラネットフクシマン

Photographs by Panda Kanno
Text by Kazuki Hoshino


東日本大震災の翌日と3日後、福島第一原子力発電所は水素爆発を起こした。当時、海から内陸に向けて吹いていた風は、大量の放射能を南北へと飛散させ、原発の建つ双葉町を起点に多くのホットスポットが生まれていった。そしてD-CORD所属のフォトグラファー、菅野ぱんだの生まれ故郷である伊達市霊山町も、期せずしてそのひとつとなってしまった。震災のパニックがようやく落ち着いたように見えた3ヶ月後、菅野は自らの生まれ故郷をはじめ、警戒区域周辺を撮影に訪れた。

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1.  福島県相馬市 6/11


----地震が起きた時は何をやられていましたか?

菅野 自宅にいました。実は私はテレビが家にないので、ニュースが見られなかったんです。たまたま近所の電気屋の大画面のテレビでニュースを見ていたら、津波がワーッと襲ってくる現場を映していて、ものすごくびっくりしました。

----そして翌日と3日後に、福島第一原子力発電所が水素爆発しました。

菅野 ニュースを追っていなかったので、それが大変なことだと思わなかったんです。地震に関しては、私の実家が福島市の北にある伊達市の霊山町というところで、そんなに心配していませんでした。なぜなら、山に近い土地で地盤が岩なので、これまでもうちの近辺だけは地震の被害はなかったからです。事実、4日後に実家に電話が通じて聞くと瓦さえ落ちていなかったそうです。

----しかし......。

菅野 実際は、霊山町はホットスポットになってしまった。実家に電話すると「自治体や新聞では、そんなに騒がでないで大丈夫だ」ということだったので、 甘く見ていました。


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2. 福島県相馬市 6/11


----ご実家に戻られて、ご両親の様子はいかがでしたでしょうか。

菅野 とにかく、思ったより緊迫した感じではなかったですが、新聞はずっと切り抜いていたようですね。

----爆発後に、南は取手、我孫子、柏、松戸、金町。北は南相馬、浪江、飯館、福島、伊達と、南北に放射能が風に乗って流れていってしまったと。

菅野 この数ヶ月は思い返せば世間はパニックだったと思います。地震からある程度落ち着いた3ヶ月後、まず最初は6月11日に福島に撮影に行きました。これまでに計3回、相馬市、南相馬市、伊達市、飯館市......などなど、警戒区域周辺も訪れています。


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3. 福島県相馬市 6/11


----それでは写真を見ながらお話を聞かせてください。

菅野 この写真は相馬市です。原発の北の町です(写真2、3)。3ヶ月たっても、まだまだこういう生々しい風景は残っています。

----東京では通常0.1マイクロシーベルト/毎時(以下、μSv/h)いくかいかないぐらいが通常の線量ですね。

菅野 この0.3〜0.5 μSv/h という値は、この地域では普通です。 このマスクは(写真1)、家の粉塵や菌や、消毒の粉を吸い込んでしまうからだそうです。


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4. 福島県相馬市  相馬野馬追 7/23


----祭りも行われていた?

菅野 これは南相馬市の「相馬野馬追」という祭です(写真4)。原発から20〜30kmの緊急時避難準備区域にある神社で、7月23日・24日・25日に開催されました。通年より縮小して催されたと聞いています。

----緊急時避難準備区域の中には入りましたか?

菅野 ギリギリまで行きました。緊急時避難準備区域の境界で、警察が検問を張っているところで、線量は0.38 μSv/h でした。そんなに数値は高くありません。伊達市霊山町のうちの実家は1.3 μSv/h とか1.4 μSv/h なんですね。話によれば、爆発した放射能は塊になって空を飛んでいくそうなんですね。雲のように。で、地面に落ちたところがホットスポットになると。


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5. 福島県伊達市 7/25 


----同じく福島を訪れた藤代冥砂さんは、放射能という見えない〈非日常〉にさらされながら、〈日常〉が流れていた、と福島の感想をおっしゃっていましたが、菅野さんはどう感じられましたか?

菅野 いろいろ歩きましたが、町の中で歩いている子供は一人しか見なかったですね。夏休みなのに。大きな駅や催しがあるところにはもちろんいますが、子供は皆マスクをしていました。

----なるべく子供を外に出さないようにしている?

菅野 とくにお子さんがいる家は、洗濯物を外に干さないようにもしているようです。窓も開けられない。日常は普通に流れているけど、現地の人たちは奇妙な違和感がありますよね。放射能は見えないから。農家の人たちは、出荷停止という現実的な打撃というカタチに直面しますし、子供のいる家庭は神経質に対応せざるを得ない。海側の人たちは津波の被害を受けているから、震災を目に見えるかたちで受けた外側のショックと、放射能に対する内側のショックは180度違うわけですよね。


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6-1. 福島県伊達市 8/18 


----津波の被害の大きかった土地の人々は何を考えていましたか?

菅野 相馬では学校の先生をしている友達の家に泊まらせてもらいました。相馬には松川浦という有名な漁港があるんです。 漁港だけじゃなくて陸のほうまで津波の被害は甚大でした。田んぼは潮にひたってしまい、使えなくなったところがいくつもありました。その漁港や町の後ろの田んぼの真ん中に学校があって、その屋上に避難していた人たちは、黒い波が襲ってくるのが遠くに見えたそうです。家族が亡くなられたり、家が流された生徒さんたちも多いそうなんですが、実際のところ彼らの方がカラッと割り切っていると話していました。逆に友人は大きなショックを受けていました。またいつ地震が起きて津波が来るかわからないので、震災以来、海には近づいていなかった。その気持ちはよくわかります。


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6-2. 福島県伊達市 側溝の放射能汚泥除去作業 8/19


----それほどショックを受けていたと。

菅野 だって自分だけならともかく生徒さんたちのこともある。とにかく本当に壮絶だったようです。お家が流されたおじさんが言ってたんですが、津波が襲ってくる時は来る時、空が真っ暗になって稲妻が光っていたそうです。自然のエネルギーってすごいですね......神話とか映画みたいだと言っていました。でも今、海岸に行くと土ぼこりでカラカラしている。人も精神的にカラカラして見えます。それはなんでなんでしょうね。そして半年たっても、いまだ木や、建物の土台や、バスなどいろんなものがバラバラなままに残っている。そうとうヘビーでした。初日の夜は正直きつかったです。電気をつけて寝たほどです。でも、写さなくてはいけませんから、撮影に関しては一線を引いてあまり入り込まないように気をつけています。客観性は自分の中で持たせています。


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7. 福島県伊達市 8/19


----しかし一線を引いても、ひとごとにはなれないですよね。

菅野 うーん、でもまだまだひとごとですかね......。現地の人たちに比べたらまだリアルな実感はないと思います。震災は現在進行形ですが、まだ自分のなかで消化できてないからかもしれません。でも、とにかく子供とか動物とか小さいものに対しては可愛そうだと思います。子供は一万人以上、県外に避難しているらしいですから。


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 8. 福島県伊達市 伊達のふる里祭り コーラス隊のみなさん 8/14



----諸々問題の規模が大きすぎますが、時間が経てばもっと大きな問題になるのかもしれない。

菅野 私たちはこれまで原子力というものを過信しすぎていた。それをもう一度、本当にきちんと見直す必要がある。というのが、今いちばんに思うことです。


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9. 福島県須賀川市 花火大会にて 8/20 


----最後に、今後の菅野さんのフクシマをめぐるプロジェクトについて詳しく聞かせてください。

菅野 写真を撮っていても「何ができるんだろう」というはっきりとした気持ちじゃないんです。ただ何度か通っているうちに今まで現実味がなかったことが、やっと少しづつ自分の中に入ってくるようになった。かなり遅いんですけど......ひとつの現実として受入れられつつある。そこには、希望とか復興とかそういうものももちろんあるんだけど、「なんでこうなっちゃったのかな?」という疑問も日に日に大きくなっているような気がします。その多くは今まで日本という国に「無関心」だった、あるいは安易にぼーっと過ごしてきた自分に対する反省みたいなものも含まれます。だから、「福島ガンバレ」だけじゃない「なんでこうなっちゃったのかな?」っていう部分、そういうものも意識して撮っていきたいという感じではあります。とにかくこの違和感を解消するには、長い時間かけて、これからどうなっていくのかを見届けながら客観的に撮っていくしかないと思います。


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10. 福島県須賀川市 花火大会 8/20



■菅野ぱんだが訪れた福島の撮影ポイント




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菅野ぱんだ Panda Kanno
福島県伊達市霊山町生まれ。フォトグラファー。





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